土屋 賢二 (つちや けんじ)
1944.11.26〜
岡山県玉野市生まれ。
東京大学文科I類入学、同文学部哲学科卒業、
同大学院人文科学研究科博士課程退学。
専攻はギリシア哲学、分析哲学。
お茶の水女子大学文教育学部教授。
教授職の傍らユーモアエッセイを執筆。
笑う哲学者「プロフェッサー土屋」が世の中の問題、悩みごとを痛快に分析する。
存在がミステリ〜なので設置しちゃえ(w
OHP?(^^;
FC?(^^;;;
1994「われ笑う、ゆえにわれあり」★★★★★
愛ってなんぼのものか、 わたしはこうして健康に打ち勝った、あなたも禁煙をやめられる、 なにも考えないで楽しく生きる方法、 超好意的女性論序説、汝みずからを笑え… などなど本邦初の「お笑い哲学者」が、 人間について哲学的に、大マジメに考察した、 摩訶不思議、変幻自在、抱腹絶倒の処女エッセイ集。 目次 今日からタバコをやめられる―でなくても禁煙をやめられる 助手との対話 愛ってなんぼのものであるか?―懐疑主義的恋愛論 わたしのプロフィール 人間を定義するのは不可能である あなたも今日から老化が楽しめる 汝みずからを笑え あなたも今日からワープロが好きになる 洗濯の概念―大きい顔をされないための概念分析 わたしはこうして健康に打ち勝った〔ほか〕 哲学ユーモアエッセイ。 著者の飄々とした人柄が軽妙な筆致から滲み出ていますね。 日常から屁理屈をこねてるだけなのに これだけおもしろさを引き出せるのはすごいや。 笑えすぎ。くだらないが褒め言葉。 それでいて哲学のにおいがちゃんとするふしぎ。 土屋ワールドの入門として、まずこの1冊です(^^)
1996「われ大いに笑う、ゆえにわれ笑う」★★★★☆
名作「わたしのギョーザをとって食べた人へ」をはじめ 「胃カメラからの生還」「妻への詫び状」「論よりだんご」 「女性を徹底的に賛美する」「わたしの教えた学生ワーストテン」など、 常識の垣根を取り払い、 森羅万象をユーモアと諧謔で解きあかした、 お笑い哲学エッセイ集。 著者自身によるイラスト多数収録。 目次 無人島に持って行くもの わたしの横顔 「犯人はだれだ」本格物ミステリ 助手室に入ってはいけない理由 胃カメラからの生還 想像と現実の間 ピアニストへの長い道 わたしのギョーザをとって食べた人へ 時間の効率的活用法 趣味は苦しい〔ほか〕 上の姉妹編な1冊。 相変わらずくだないのがたまらなくおもしろい、笑った笑った。 サブタイトルからしてシュールすぎ(w 原理をおもちゃにするセンスがやばい。 今回はイギリス留学ネタのエッセイも多数。 奇抜な本格ミステリ論もあります。やはりトリッキーな方面に強い(w▼BACK▼ ▽TOP▽
1998「人間は笑う葦である」★★★☆☆
本書に収めたエッセイのテーマは、 哲学、政治、芸術、ユーモアなど、さまざまであるが、 これらを論じる姿勢は一貫しており、 鋭い観察と緻密な論理の二つにとらわれない 自由な精神を保つように心がけた。抱腹絶倒の哲学エッセイ。 目次 麦茶とコーラと五寸釘 わたしの葬式 打ちれ強いピアニスト 人間はなぜ笑うか 腹立ち日記 感想についての感想 夏の終わりの憂鬱 わたしが漫画家にならなかった理由 もしかしたらわたしは自由でないかもしれない ライナーノーツとは何か〔ほか〕 第3弾、ともなると、さすがに耐性ができてきたような。 相変わらずおもしろいんだけど、 ゆえにマンネリ気味というジレンマ。 ややシリアスな考察もあって、それが新鮮って…(^^;▼BACK▼ ▽TOP▽
藤原 正彦 (ふじわら まさひこ) 1977「若き数学者のアメリカ」★★★★☆ エッセイ。体験記。 淡々とした飾らない文体でトレースしやすいです、とにかく人間臭い(w なんだか暴走癖のある思考も大いに笑えました(^^) どことなく詩的なラストもいい後味を残しますー。 1991「遥かなるケンブリッジ」★★★★☆ エッセイ。今度はイギリスへ。 上の10年後で著者も結婚して3児の父に。 暴走癖もインスタント愛国心も健在(w だいたい慌ててるとはいえ封筒を現実にビリビリにするかね(w 悪い面も含めてもやっぱりイギリスはかっこいいや。 食べ物のマズさは折り紙付きなんですねー。 某騎士王が 「…………………………雑でした」 というのも うなずける(w ワイルドワイルドイングランド。 1997「心は孤独な数学者」★★★☆☆ 伝記でいて評伝紀行。 ニュートン(イングランド) ハミルトン(アイルランド) ラマヌジャン(インド) この3名の人物伝、偉人伝ではないのがミソ。 風土・風俗も直に伝わってきますねー。 理を要約させた簡素な数式がジューシーに見えるようになります。
1943.7.9〜 満州国新京生まれ。数学者。エッセイスト。 1978年「若き数学者のアメリカ」で第26回日本エッセイスト・クラブ賞。 2004年、全言論活動で第4回正論新風賞。 2006年「国家の品格」で第23回新語・流行語大賞を受賞。 なんかてんで共通点ないけど置いておこ。 ユーモアエッセイは共通か。 昔のテキストがひょっこり出てきたもので(´・ω・`)▼BACK▼ ▽TOP▽
入不二 基義 (いりふじ もとよし) 2002「時間は実在するか」★★★★☆ 「飛ぶ矢」は止まっている!? マクタガートの「非実在性」の証明とは!? 過去・現在・未来の「罠」 飛ぶ矢のパラドックスに始まり、 マクタガートの非実在性の証明を検証し、 新しい形而上学を構想する。 「実在」の第1の意味―― まずは、マクタガートから「遠く離れた」ところから始めてみよう。 ……古代ギリシアの哲学者であるゼノンとアリストテレス、 古代末期のキリスト教者であり哲学者であるアウグスティヌス、 初期大乗仏教の確立者ナーガールジュナ(龍樹)、 明治から昭和期の国語学者山田孝雄(よしお)。 彼らの議論を参照しながら、その「問題」へと接近してみよう。 「実在」とは、まず第一に、単なる見かけ(仮象)ではなくて、 ほんとうに存在しているものという意味である。 「ほんとうに(really リアリィ)」という副詞を名詞にすると、 「実在(reality リアリティ)」になる。 見かけ(仮象)を剥ぎ取った後の 「ほんとうの(real リアルな)姿」の中に、 「時間」がはたして含まれているのかどうか。 それが、「時間は実在するか」という問いの1つの意味である。 (本書より) 形而上学的時間論の真面目な書。 物理(数)学的時間論にはいっさい触れていません。 導入部は古代の時間パラドックスが楽しく、申し分ない。 次のJ・M・E・マクタガートの論文「時間の非実在性」の 証明と解説も、ていねいに、おおきくページを割いてなされます。 過去・現在・未来の定義がいかに困難か。 時間を系列であつかうのもその発想はなかったわの世界。 まあ、この辺から混乱してくるんだけど。 で、著者による批判と再構築につながる全体の流れ。 ここがやっかいでね、ほんの言い回しの差でこうもちがうのかと。 私はとても胸を張って著者の主張を理解できたとはいえません>< でも時間についての見方、考え方は変わります、それだけでもよし。 註記は行ったり来たりをしいられる巻末より ページ左とかにちいさく書いてほしかったよ。
1958.11.11〜 東京大学文学部哲学科卒。同大学院博士課程単位取得。 現在、山口大学助教授、山口大学時間学研究所主任研究員。専攻は哲学。 哲学つながりでついでに置く。ベクトルは正反対?(w